トイレタイムペーパー

トイレタイムにサクッと読める記事、あります

キャンドルナイトの夜に


我が家にはキャンドル・ホルダーがいくつかある。
北欧雑貨メーカーのイッタラ社を狂愛している嫁が買い集めたものだ。
私は10数個あるホルダーの中からお気に入りの色を選び、キャンドルを入れて火を点けた。
部屋の電気を消すと優しい光が現れ、ゆらゆらと火が揺れる度に影は踊った。
ああー。
ロマンチックだ。
キャンドルの火の先がチリチリと燃えながら二酸化炭素とロマンチックを発生させている。
もはや部屋はロマンチックでいっぱいだ。
圧死するぜ。
ロマンチックで。

そのとき私はふと思った。
そもそもロマンチック、とはなんだろうか。
なんとなく目の前の光景には「ロマンチック」という言葉が合っている気がするけれど、本当に意味的に合っているのだろうか。
その場のフィーリングだけで適当な言葉を使うのは私の悪い癖である。
悪い癖と認識しているなら治してみようホトトギス
人間五十年〜と敦盛を舞いながらサクッと調べてみた。

ロマンチック
現実を離れ、情緒的で甘美なさま。また、そのような事柄を好むさま。空想的。

敦盛を舞うのを止めて考えてみる。
はて、「現実を離れ」というのはどういう意味だろうか。
幽体離脱的な?
もしくはトリップ的な?
そうなるとロマンチックに近いのは危険ドラッグの常習者ということか。
いかんせん傍からは「ギィェピィィ」と奇声を上げている狂人にしか見えないが、当の本人は甘美な幻想の中でロマンチックの泉に溺れているのかもしれない。

まぁ、なんにせよ今、私の目の前に広がるキャンドルの灯りでぽわーんとなっているこの状況、環境は少しロマンチックに欠けるのではないかと思う。
キャンドルのおかげで甘美さはなんとなくあるのだが、私は現実にどっしりと足を付けたままだ。
その証拠にロマンチックだなんだと書きながらも、頭では「明日仕事行きたくねぇなぁ」とか思っているのだから。
仕事。
しごと。
shigoto。
これほど圧倒的に現実感溢れる言葉が他にあるだろうか。
タイプするだけで指が震えるぜ、おい

嗚呼、仕事を辞めることがてきたらどんなに素晴らしいだろうか。
私はあり得ない自由と開放感を夢想しながら、ハッとした。
これである。
仕事を辞めること、即ち「無職」こそがロマンチックである。
無職によって得られる絶対的な自由という甘美さと、社会からの解脱というある意味で現実からの離脱。
まさしく、ロマンチックだ。
そうと分かれば話は早い。
私は便箋を取り出し、最初の行に筆ペンで辞表と書いた。
続いて社長には呪詛の言葉を、部長には怨嗟の言葉を書き殴り、そして、それをビリリと破り、丸め、ゴミ箱へと投げ捨てた。
32歳既婚者の私がロマンチックを求めて離職とは、正気の沙汰ではないと気づいたからである。
20歳の私ならば、こんな浮世にゃ未練はねぇと吐き捨てて、朝から晩までパチンコ店に入り浸り、銭と時間を爆散させてロマンチックを謳歌していただろう。
が。
32歳の私は違う。
失う時間には焦燥感を。
失う銭には絶望感を。
いつだって将来への不安でいっぱいである。
私はそういう年齢になったのだ。
だからこそ無職に憧れ、そこにロマンチックという言葉を当てはめる。
手に入らないから甘美であって、手に入ってしまったらそれはひどく退屈な現実に違いない。

キャンドルの火をぼんやりと眺めながら、私はそんなことを思った。
そして32歳のおっさんが一人でキャンドルナイトやっちゃってるのって結構あれだと思った。

きもいって。