トイレタイムペーパー

トイレタイムにサクッと読める記事、あります

心踊るぐだぐだぐだぐだ


休日、にして、雨。
外出する気分は霧散霧消し、あとには日常の疲れで支那竹のようにしおしおになった心だけが残っていた。
今日はグダグダしたろ。
目一杯グダろ。
32歳の私が70歳まで生きたとして、残り38年の人生、残り13,870日の人生の中で1日くらいそんな日があったっていいよね。

どーせグダグダと過ごすなら、それはもう全力でグダグダするに限る。
ただ無意味に時間を消費し、日が暮れる頃に虚無と空虚のタッグにタコ殴りにされて枕を噛んで眠る。
これぞグダグダである。
そもそも「グダグダする」という行為には何一つ生産性がない。
それもそのはずで、何も生産しないからこその「グダグダ」であって、何か生産してしまったらそれはもはや「グダグダ」ではないのだ。
にも関わらず、無為な1日に焦り、虚無と空虚さに後悔する。
この矛盾を生じさせることこそが、全力で「グダグダする」ことだと思う。

会社の会議で、革新的かつ革命的な激烈に猛烈なアイディアを出した後輩がいて、出世欲に溺れ、出来れば手柄を横取りしたい私はどうやったらそんな業界が天変地異を起こす程のアイディアを出せるのかと尋問、詰問したところ、「家でグダグダしていたら思いつきました」と言った、言いやがった。
これは明らかな嘘である。
上にも書いた通り、グダグダするというのは何一つ生産性のない、非生産という言葉を具現化したような行為だ。
故にグダグダしていて何か思いつくことなどあるはずがなく、また、あってはならない。
では後輩のいうグダグダとは何なのかというと、これは間違いなくファッション・グダグダである。
ファッション・グダグダとは何かと言うと、グダグダするふりをしながらも頭の片隅では仕事のことや晩飯のこと、将来のこと、会社のアイドル美樹ちゃんのことなど、様々なことを考え、想い、画策して、ちゃっかり生産性を上げることである。
そして生産されたものを人前にバッと広げて見せては、脳みそをフル回転させ、結構なカロリーを消費して苦労の末に生産したくせに、
「俺、グダグダしてたらできちゃいました」
と、余裕をかまし、格好つけ、そんな虚像の自分に酔うのだ。
私はね。
そんな人たちがね。
嫌い。
三途の河でも渡れや。

グダグダするというのは、それはもう人間的生活を放棄するぐらいにダラダラでドロドロな状態になってこそだと私は思う。
それゆえ、今の私は床に仰向けになって寝そべり、上半身はもはやフローリングと一体化し、下半身は膝を曲げてベットに置くという意味不明な体勢になっている。
この状態でも十分にグダグダ感を満喫できるが、そこから更に両手を使って仰向けのままフローリングをグングン進む。
足がベットから離れても、なぜか浮かせたままの状態でフローリングを自由自在、風が吹くまま気が向くままに進む。
意味不明というよりも奇妙、奇怪な行為だ。
しかし、私の体内には先ほどとは比にならないほどのグダグダ感が溢れ、世の中の大抵のことがまぁーーーーーーーーーーどうでもよくなってきた。
このフィーリングいいわぁ。
めっちゃいいフィーリングだわぁ。
このまま三途の河、渡りたいわぁ。