トイレタイムペーパー

トイレタイムにサクッと読める記事、あります

爆発する焦燥感の果て

雑誌を読んでいたら面白そうな小説が紹介されていたので、早速TSUTAYAに行って買ってきた。
座椅子に座り、横にあるミニテーブルの上に淹れたての珈琲とm&mチョコレートがいっぱいに入った瓶を準備し、完全読書体制を整える。
今日はゆっくり本を読んで過ごそう。
そう思って数頁めくってから私は本を閉じた。
ダメだわ。
なんか、ダメだわ。

最近の悩みの一つが、積み本である。
積み本とは、面白そうなだなー、読みたいなー、と思って買ってきたのに、いざ手に入ると急に読む気が失せて棚の上にポンッと置きっ放しになっいる本のことだ。
別に読みたくなったら読めばいい話なのだが、いかんせん積み本を消化する前に新たに本を買ってしまい、積んで、買って、積んで、買って…と繰り返した結果、私の本棚には餓鬼道巡行、八月の六日間、レインコートを着た犬、死の迷宮、暗殺の年輪の計5冊が積み本になっている状態だ。
なんだか提出期限のない宿題がずっと残っているような気持ちである。

積み本をしてしまう原因は、焦燥感のせいである。
本を読んでいると、ふと「読書なんてしてる場合なのか」と謎の焦りが生じるのだ。
1日は24時間である。
そのうち睡眠に8時間割いたとして残り16時間。
平日であれば仕事で12時間程度は拘束されるので残りは4時間。
ゆっくりご飯を食べて、お風呂に入ったら2時間は掛かるので残り2時間。
つまり平日の私には2時間しか好きなことをできる時間がない。
ならば休日はどうかといえば、「家に籠っていてはもったいない」と思って目的が無くても外に出てしまう。
さらに歳のせいか、休日には日頃の疲れが出てしまい、気がつけば昼寝をしていることもしょっちゅうなので、結果的には平日とほぼ同じような時間しかない。
そのため読書をしていると、アレもコレもしたいやりたいと思い始め、まったく集中できなくなってしまうわけである。

焦燥感によって集中できないのは読書に限ったことではない。
読書をやめて動画なんかを見始めても同じで、動画を流しながら携帯ゲームを始めたり、雑誌を見てみたり、結局本を開いてみたりと、私は絶えず何かに焦っている。
これを解決するには単純に自分の時間を増やせばいいのだろうが、仕事を辞めない限りは不可能に近いと思う。

ならば、時間割を作ってみたらどうかと思いついた。
1時間は読書。
30分は動画。
30分はブログ。
こんな感じで時間単位で管理してしまえばいいのではないか。
または時間と言わず、日単位、週単位としてもいいかもしれない。
これなら読書なら読書、動画を見るなら動画と、それぞれに集中できそうだ。
しかし、自分の完全なプライベートまでスケジュール管理するというのはなんとも悲しい。
まるで仕事をしている気分である。
というか、そこまでしないと集中できないことがまず情けない。

そもそも私が感じている焦燥感は何が原因なのか、自分にもよくわからない。
だが、なんとなく、未来への不安なのかなとは思う。
明日仕事行きたくねぇとか、今月あといくらしかないとか、老後のことだとか、なんだかんだ。
私はそうした未来の不安がなるべく見えないように、「今」に強い光を当てる。
だけど視界の端に、思考の片隅に、未来の不安はチラチラと姿を現わす。
それが私の焦燥感の正体なのだと思う。

私は一心不乱に洗い物をした。
洗い物には瞑想効果があるらしいからだ。
余計なことは考えたくない。
ただでさえ生きづらい世の中なのだから。